ミュージカル「マリーアントワネット」
みなさんこんにちは。
なんか、2018年の私がめちゃくちゃ一生懸命書いて下書きに残ってたので更新させてください。
長いです。
ミュージカル「マリーアントワネット」を何度か観劇して、心酔してしまったので忘れぬうちに書いておきたいです。
この記事はとりあえず花マリーと古川フェルセンについて、、
別記事に別の人たちについても書こうかな。と思ってます。
たまたまチケット取ってたのが花古ソ、花古ソ、花古昆、笹古昆だったので花マリーへの愛が強くなってしまいました。
ミュージカル「マリーアントワネット」は9月に博多座で初日を迎えて現在は帝国劇場にて上演中、12月の御園座を経て年明け元旦から(!)梅田芸術劇場メインホールで上演予定の全121公演(!!!)の超ロングランの舞台です。
調べたところ2006年の初演はあまり評判が芳しくなかったようで、あまり期待していなかったのですがこれがなんとまあ嬉しい形に期待を裏切ってくれて・・・
と言いつつも帝劇初日に1度目見たときはあまりハマらなかったのも事実で、手持ちのチケットをどうはけさせようかなどと考えていました。
私が衝撃を受けたのは3度目のMAだった11/8 ソワレ(アフトあり)を見たときでした。
約1ヶ月ぶりのMAだったのですが、10月に見たものとはまるで違う公演で、本当に驚きました。
好きなところを好きな順に書いているのでそこはお許しください。
(また、特別に書いてないところ以外は基本的に花マリーの話をしてます。)
冒頭での古川フェルセン、歌詞の通りマリーが処刑されたことに対して「信じられない、受け止めきれない」という気持ちが出ていたと思っていましたが、11月は愛する人を失ったことへの絶望、怒り、苦しみ、結局救えなかった無力な自分を責める、というような完全なまでに闇落ちな歌でとても不安になりました。
しかもその後の「目を閉じればシャンデリアの下で踊るあなた世間知らず無邪気な私のマリーアントワネット」と目を閉じ微笑みながら歌うフェルセンの、マリーへの独占欲と、幻想の中で生き続ける愛する人への想いがひどく伝わってきてそのまま死んでしまうのかと思うほどで本当にフェルセンのことが心配です。
生きて、フェルセン…あなたの愛した人は残された人が誰も恨まぬように、と願って死んでいったよ…
そしてその直後に出てくる劇中最も美しく華やかで豪華な衣装を身に纏ったフランス王妃マリーアントワネットが登場するの演出がとてもずるくて好きです。
このオルレアン主催の舞踏会でのシーンで好きなのはマリーの「お話にならないで!」です。
大司教がマリーに話しかけるシーンでのマリーのセリフなのでてっきり初見は大司教に向かって言ってると思っていましたが、その前に大司教にフェルセンが挨拶していました。マリーの「お話にならないで!」は、私の嫌いな奴とお話にならないで!ふぇるせん!ってことでした。あまりにも乙女であまりにも可愛いですよね。so cute
そのあとあなただけに続く道を歌うわけですが
結構低い曲で、古川さんちょっと音域外だなと思いました。でもその低い音程が、マリーを想って静かに決意したように伝わるように落ち着いた愛を歌っているようで、この歌はとても素敵です。
そしてマリーがドレスを選ぶシーン!!!
私の大好きなとこ!!!このシーンの話めちゃめちゃしたい!!!なにってまずもう全部可愛い!!!目が幸せ!!!それにマリーが親友のランバル夫人とドレスを選ぶ姿はあまりにも女の子でその可愛さにノックアウトされます。フェルセンをイメージしたドレスを見て「これがいいーーーーー!!😆😆😆💗💗💗」って言って、ランバル夫人が「いいかも〜〜!!」っていうの、あまりにも可愛くないです?????愛しいでしょ???愛しいです。
ちなみにこのシーン、ドレスが4種類出てきますが笹マリーと花マリーでは好みが違うようで、ドレスが出てきたときの反応が少しずつ違くて面白いです。
ないに等しい限られた自由の中で女性らしさと自分を失わない生き方を探すフランス王妃が明るく可愛く踊るこのシーン、とっても好きです。花マリーは筆で槍(?)(時代背景から考えてどう考えても剣)みたくして敵が来たら倒す〜♪って歌って笹マリーはあしらうみたいにしてるの、2人の表現の違いにまた感激しちゃいます。
で。トリアノンのシーン。
フェルセンが来たのをみて気を使って子供達を離れさせるランバル夫人完璧な女すぎて最高に好きなんです。
そのあとの「早すぎましたかな?」です。
みんな大好き「早すぎましたかな?」。
そしてマリーは自分の作り出した絵に描いたような世界について子供のようにはしゃぎながら説明していて、初デートかお前ら。って観客に突っ込ませます。(突っ込ませてはいません)
しかし気が気でないフェルセンはそんなマリーを認めつつも心を鬼にして忠告します。
「ここはおとぎの国。現実は違う備えなければ早く気づいて。激動の波に飲まれてこの私が必要になる。」
この私が必要になる……………この私が必要になる、、、?????え?めちゃめちゃ雄、、、本当にこの歌詞好きです。きっとみんなも好きです。だって、ここまで警告を続けて、危険だということを伝えてあなたのそばをあなたのために離れます。とまで言った誠実で真面目な男が、突然「この私が必要になる」ってあなたは私を必要とすることになると確信して歌うんですよ。こんなのリアコになりますよね〜〜〜〜〜〜アハ〜〜〜〜好きです。
そのあとマリーはファルセンに「私は王妃なのよ!」という言葉をぶつけて引き止めようとします。この虚しさがすごくて、フェルセンはこれまで散々「愛したのはただのあなた王妃ではない」って言ってきたのに、マリーは王妃として育てられ飾り立てられているので引き止められる方法がそこに行き着いてしまうんです。
悲しいですよね。ハッと気づいて今の言葉に意味はないの…と悲しく呟き、「私の敵は私の立場」と歌います。「もし王妃でなければこんなときどうするの」とも。
悲しい、、、。
花マリーと古フェルセン、本当に潔白な関係そうで素敵です。体の関係とかまじでこの2人にはなさそう。精神と思考の理解とその人そのものへの愛だけで成り立ってる関係そうで憧れます。
そんなこんなで
一幕、フェルセンはひたすらマリーに今のままでは危険が迫っていることを伝え、全然話を聞かないマリーを説得して「あなたにとって辛いことでもわたしはもうあなたを愛しません。泣かないで」と離れる覚悟を決めるんですが、
二幕、いよいよマリーがこのままでは処刑される、というとき、マルグリットに頼んでマリーに会った古川雄大演じるフェルセンがなんともうびっくりするくらい泣きじゃくって子供のようにマリーに求めるんです、「あなただけでも逃げて」と。
しかし自分の置かれた状況を理解し、大人な女性で母親になったマリーは子供達を置いていくなら死を選ぶ。とフェルセンに告げます。
古川フェルセンは180cmを超えた細長い体をマリーよりも縮こまらせ、涙で顔をぐちゃぐちゃにして、自分ではマリーを救い出せない非力さと運命を呪い苦しみます。その姿に心底惚れました。
それに答えるように静かに泣きながら歌い「泣かないで」と同じフレーズで諭す花マリー…
2人で声が出なくなるほど入り込んでいる姿はまさに演劇の真骨頂だなと思いました。
そのあとマリーの息子ルイは兵に連れて行かれますがまたそのシーンのお花さまの演技と言ったらもう、、こんなに苦しく儚く弱々しくも力強い。痛烈な叫び声とともに感じる子供への愛、母親としてのマリーに全観客が涙する瞬間だなと思います。
話は前後しますが
ランバル夫人とマリーと子供達が刺繍をしてるシーン、子供達に優しく笑いかけるも明らかに疲弊したランバル夫人を悲しい表情で見つめるマリーがとてつもなく印象に残っています。ランバル夫人は自らの意思でマリーや国王の元にいることを選んだわけですが、マリーからしたらやはり巻き込んでしまった、ランバルだけでも逃げられたかもしれないのに、と思っているのかもしれないな。と。しかもその直後教会に行くランバル夫人はそのまま処刑されてしまうわけですから、マリーの心が壊れてしまうのは必然です。
ランバル夫人とマリーが幸せに暮らせる世界線があれば、私はどんな手を使ってでも実現してあげたいなと思うくらいにこの2人の女の友情が素敵なものだと感じています。
花マリーは白髪になった姿もまた美しくて、
失礼になるのかわかりませんが、とても似合います。革命裁判所でのシーンは強い意志とフランス王妃としての誇り、母親としての自覚を感じられる威厳のある強い女性を感じる素晴らしいマリーアントワネットを演じています。
花マリーからは女性としての強さを感じて、
笹マリーからは母親としての強さを感じるような気がしました。
でも、「全ての母親への冒涜です」は花マリーのが重みを感じて好きな言い回しでした。(個人的見解です。)
フェルセンとマリーアントワネットについて詳しく書いたつもりですが、書いているとやっぱり2人のMAについて書きたい欲がすごくなってきたのでまた今度。
突然ですが(本当に突然だな)
古川雄大の舞台上での仕草で1番好きなのは
相手役の女性の顔を触るときの手の形なんですが、涙を拭ったりするときのその手、少し握った状態で指の外側で優しく触れるんですよね………
大切な人を壊さぬように汚さぬように優しく、愛しさ溢れてしまうその仕草に全観客がリアコになること待った無しです。
と、いうことでミュージカル「マリーアントワネット」は2021年1月28日から東急シアターオーブにて上演されます(^^)
皆さま一緒にこの感動をもう一度( ◜◡◝ )
おわり。